前回は7月18日に箱罠を設置して30日にメス1頭、今回は7月30日設置して、8月10日メス4頭オス4頭を捕獲して本日8月11日、殺処分。入会3年目の若手にやらせると、心臓をひと突きせずに、動脈を切って血抜きしているとのこと。心の中でそんなやりかただとダメだろうと叫びました。有害鳥獣駆除には作法があります。少しでも苦痛を短くしてあげるべきなのに、そんなことも知らずに3年間も狩猟や有害鳥獣駆除活動をしていた人がいたのかと思うと情けなくなりました。(冬場に猪肉として肉屋に出荷するための処理方法と有害鳥獣駆除での殺処分方法が違うことを全く理解していないのです)。
再び本日箱わなを仕掛けたのでこれで3回目です。おそらく1-2週間でまた捕れるでしょう。でも、。。。
私は10歳から叔父の狩猟旅に連れてもらって鳥獣の処理を見て以来、自分でも主に狩猟で少なくとも千以上の鳥獣の命を奪ってきました。
去年、親が脳梗塞で倒れてから、なぜか自分の中の殺生に対する感覚が急に変わってきた気がします。
この頃、昔々に聞いたことを、突然、思い出します。
父親は『どんな動物にも親兄弟や家族があるのだから』と叔父が狩猟を趣味にといくら勧めても、狩猟はせずに山に行くと言ってゴルフだけしていました。子供の時に親(私の曽祖父)から言われて、子猫を処分するようにと川に流した時の子猫たちの顔が忘れられないとボソッと言ったこともありました。あるいは 運行管理者だった父が、部下が起こした事故でほとんど分断されてしまうほどに傷ついたご遺体を血まみれになって抱えて運んだことや、そのお通夜やお葬式に行って謝った際にご遺族の家族やご長男に睨めつけられて、その視線を感じて自分は畳の上では死ねないなと思ったとつぶやいたこと。 そして、父はその自らの予言の通りに、歩行しているところを後ろから乱暴な運転をする車にひき殺されました。
最近、私も最初に撃ったエゾシカのあの目を思い出すことがあります。
殺処分数が多いアライグマの有害鳥獣駆除は、去年駆除隊から外してもらいました。あれほど頻繁な殺処分が嫌になったのと アライグマの数パーセントが鳥インフルエンザに感染しているにも拘わらず、またアメリカでは狂犬病対象として最も恐れられているアライグマなのに、駆除に対する市の衛生管理環境(手を洗う水道も石鹸も用意されていない)が余りにも低いこともあって、今はイノシシ・鹿駆除だけに参加しています。
これもそろそろ辞めるべきかなと。今日の殺処分を見て思いました。私もそろそろ殺生を終えるべき時期が来たような気がするのです。もう、若いころに感じた狩猟時の心臓バコバコ感や感動を感じなくなってます。狩猟も有害鳥獣駆除もただのあたかも通常業務って感じになりつつあります。
クレー射撃やライフルの静的射撃や動的射撃ランニングターゲットなどの標的射撃だけ にすべきかなとも思い始めてます。
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